雷電のチチ日記

二千円札を最後に見かけたのはいつだったろう./最近はTwitterでつぶやいてることが多いかも/はてなダイアリーから移ってきました since 2005

「何がヘルプだ」と「マニュアルはどこだ」

日経の夕刊で「おじさんは怒ってるぞ」という連載がはじまっていて、1回目のお題が「何がヘルプだ」。Microsoft Excelのヘルプを見たものの一向に求める情報にたどりつかないとお怒りのようだ。


コンピュータ*1のヘルプが使えないことに異論はない。にもかかわらず、最近のコンピュータはソフトもハードも「使い方の詳細はヘルプを見てくれ」みたいな感じで紙のマニュアルがどんどん薄くなっている。(PDFになってたりするがまず見ない)下手するとエアコンの取扱説明書の方が分厚いくらいだ。

自分がはじめて買ったコンピュータは白黒マック(Macintosh SE)だった。当時からマックは「(他のコンピュータと違って)マニュアルを読まなくても使える」のが売りだったが、「本体編」「漢字Talk編」「HyperCard編」と分かれたマニュアル自体も伝説的な出来で(確か何かの賞を受賞したはず)読み物としてもリファレンスとしても実に「使える」ものだった。
時が経つにつれマニュアルは薄くなっていき、一番最近に買ったiBookにはほんとに薄いチュートリアルしかついてない。いや、もちろん「分厚いマニュアルを読まずに誰もが使える」ようになったのならそれは素晴らしいことだと思う。そして事実そうなのだろう。しかしちょっと分からないことが出てきたときチュートリアルは解決してくれない。それではとヘルプを見ても、OSXヘルプの使えなさはMicrosoftのそれと負けず劣らずである。マニュアルを「読まずに使え」ても、「必要なときには手元に置いて読みたい」のに。

昔ならマニュアルを読んで誰でも知っていたようなことが今では「裏技見つけました!」みたいにネットに書き込まれる。「すげー」「初めて知った」「便利ですねー」といったやりとりが繰り返されるのを見るたびに、「みんな何か損してるよなー」と思う。それとももうマニュアルは、あっても誰も読まないのだろうか。良くできたマニュアルは、読んでてとても楽しいのだけれども*2


マニュアルが薄くなった一番の原因は「コストダウン」なんだろうけれども、それならそれでまともな代替手段が欲しい。でもやっぱりほしいのは「ハウツー本」じゃなくて、制作者の思想まで見えるきちんとしたマニュアル。ないものねだりでしょうか。

*1:ソフトもハードも

*2:「良くできたマニュアル」に限る