もともとタダなんだしYouTubeに上げるくらいいいじゃない、という感覚
YouTubeを取り巻く「テレビ番組くらい共有を許してやれよ」「引用ということでいいんじゃないか」という空気の裏にあるのは、要するに「テレビを見るのはタダなのに」(と思われている)ということじゃなかろか。
音楽は値段を付けて売られている。書籍は対価を払うもの。映画はチケットを買って観る。(商用)ソフトウエアももちろんカネを出して買うものだ。みんな売り物である。しかしテレビ番組は(少なくとも地上波は)見るだけなら無料だ。NHKは視聴者から受信料を徴収しているが、「ピタゴラスイッチ」の数分に自分たちが払う*1毎月千何百円かの受信料のうち何円が使われているかなど分かりようもないし、知りたい人もあまりいないだろう。視聴の対価という感覚はほとんどない。それゆえ無料のものを録画して共有することへの罪悪感が他のメディアより薄いのかも知れない。「元はタダなんだしいいじゃないか」という感覚。これが「今のルールが時代遅れなんだからルールを変えちゃえば」という意見への支持の高さの元になってるのかも。ただ、この感覚が正しいものかどうかはちょっと考えてみる必要がある。
あと、音楽やソフトの共有に対しては「自分がちゃんとカネ払って手に入れたものをあいつらは!」という不公平感があったりするが、テレビ番組でそういう気分にはあまりならない。だって自分もカネ払ってないから。もちろんこれらは受け手の感覚であり、制作者の著作権云々とは別の次元の話である。
ところで、YouTubeに動画を上げまくっている日本人というのは、「規制のゆるい日本語のあぷろだを使ってファイルをやりとりしている武装勢力」みたいに見えたりするのだろうか、英語しか解しないアメリカ人からは。
*1:払ってますよね?