雷電のチチ日記

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コピペしとこ

■  『レバノン:揺れるモザイク社会』 第22回「泥沼化する戦争」
 あの激しい内戦中でさえ、日本のメディアがレバノンに注目することは稀だった。最近では2005年2月にハリーリ首相が暗殺され、反シリア・デモが燃え盛った時にだけ、一時的に日本のメディアもレバノンに注目したが、その後レバノン情勢が袋小路に落ち込んでいくと、メディアの関心も冷め切ってしまった。
 今回、この戦争のおかげで日本のメディアも流石にレバノンに焦点をあてて、「ヒズボッラーとは何か」などと、連日さかんに報道している。
 それはそれで結構ではあるが、ひとつだけ苦言を呈するなら、7月12日の「確かな約束作戦」に至る経緯がほとんど報じられていないことだ。だから、「平和なときに一方的にヒズボッラーがイスラエルに挑発を仕掛けた」と言ったイメージが出来上がっている。
 この連載の読者は既にご存知のとおり、ことはそんなに単純ではない。ヒズボッラーが平和を破った、戦争を仕掛けた、と言うが、そもそもイスラエルとヒズボッラーは相互承認もしていないし、当然両者の間には平和条約もない。両者は不断の戦争状態にあった。
 イスラエル軍は南部を撤退した後も、一日何十回という頻度でレバノン領空を侵犯し、漁船を拿捕し、羊飼いを殺害してきた。このイスラエルの脅威が現実に存在していたからこそ、シーア派国民はヒズボッラーの武装継続を支持し、反シリア勢力はヒズボッラーを武装解除出来なかったのだ。ヒズボッラー活動家の暗殺を専門に行ってきたモサドのスパイ網が摘発されたことも、先日報告した。
 もちろん、私がこう書くのは決してヒズボッラーを擁護するわけではない。ヒズボッラーもイスラエル国内にスパイ網を築き、秘密工作を行ってきたし、パレスチナ人インティファーダの影にも頻繁にヒズボッラーの姿が見え隠れする。つまり、両者はずっと影の戦争を戦ってきたのであって、決して7月12日に「突然平和が破られた」わけではないのだ。
 今回の戦争が過去10年間の衝突と違っているのは、「4月合意」の枠が崩れた点である。1996年のイスラエル軍による南部大空襲と、ヒズボッラーのミサイル攻撃が双方の民間人に甚大な被害を与えたので、今後は民間人やインフラ攻撃は控え、双方の戦闘員・軍事施設の攻撃に限定しようと生まれた合意が「4月合意」である。過去10年間、曲折はあったがこの合意は守られてきた。今回のヒズボッラーの捕虜獲得作戦も、この枠内で行われた。
 それに対していきなり空港や港、道路や通信施設などを破壊しつくして、何十万人もの民間人をホームレスにしたのはイスラエルだ。ルールを先に破ったのはイスラエルなのである。だから、国際社会のイスラエル批判と即時停戦呼びかけを私は全うな意見だと思う。


安武塔馬
(JMM 2006.07.28)

追記

安武氏のサイト「ベイルート通信」にも同内容がアップされていた。
http://www.geocities.jp/beirutreport/lebanon009.html
の第22回。