雷電のチチ日記

二千円札を最後に見かけたのはいつだったろう./最近はTwitterでつぶやいてることが多いかも/はてなダイアリーから移ってきました since 2005

訊けそで訊けなくてサウンドバイト

小泉純一郎が8月15日に靖国神社に参拝することは、その筋では3か月ほど前から確実視されています。「適切に判断する」「公約は生きていますね」のサウンドバイト、「お、しょうこりもなくその質問ね。また同じ答えなんだな、これが。ウフフ」って感じで、とってもうれしそうでした。それにしても若い記者たちは、なぜ、もっと一歩前へ踏み出す質問を思いつかないんでしょうね? たとえば
靖国神社に祀られる兵士は「国のために死んだ人」だが、その国のためとは「明治新政府のため」だ。戊辰戦争・佐賀の役(佐賀の乱)・西南の役西南戦争)その他で同じ日本人をさんざん殺した挙げ句、戦死した兵士も祀られている。現在の日本国民のひい爺さんやひい爺さんを殺した兵士を神として拝むことを、その日本国民(殺された日本人の現存する遺族)はどう感じると思うか?
◆昭和13年5月末日までの靖国神社の祭神総数(戦死戦病死者数)は17万 9400柱(明治2〜昭和13年まで70年間で。出典は大阪毎日新聞社『神社日本史』昭和15年11月10日刊。なお、この本では合祀に「がっし」とルビを振っています。昔はそう読んだのかも)。現在は246万柱だから、たった7年間で230万柱近く増えた。この間の日本の指導者、政治家の責任を、あなたはどう思っているか?
◆靖国で神様になっている太平洋戦争の戦死・戦病死者200万以上のうち、実際に彼我の戦闘行為中に亡くなったのではない病死者や餓死者は、数十万人以上と見積もられている。彼らは華々しい名誉の戦死者ではなく、たいへん惨めな死に方をしたと思うが、彼らの霊は靖国で神と祀られて喜んでいると思うか?
◆ 昭和20年8月の敗戦直前、総兵力80万以上といわれる極東ソ連軍が越境して満州に攻め込んできたとき、新京(長春)あたりにいた日本人の逃げ出した順番は、関東軍関東軍満州駐留日本軍の名)上層部、その家族、関東軍兵士、同軍属、以上の関係者、その他軍と関係の深い日本人、一般の満州開拓民やその他の在留日本人。早い話が日本軍は、民間の日本人を見捨てていち早く逃げ出した。靖国神社には、そのような日本軍人にあるまじき軍人も少なからず神として祀られていると思うが、そのような者まで十把一からげに神として崇めるのはいかがなものかと思わないか?
靖国神社対馬丸の乗船者(沖縄の疎開学童のうち同船撃沈時の死者)も祭神としているようだが、学童は軍人ではなく、これは明らかに戦死者ではないだろう。疎開学童のうち空襲を受けた者は祀られず、対馬丸に乗っていた者は祀られるというような、恣意的な合祀対象の決定をどう思うか?

日録メモ風の更新情報 坂本衛|MAMO's (8月9日)
若い記者も自分たちのことをただのマイク持ちとは思われたくない(と思いたい)だろうし、これくらいのことはじゃあなりすととして考えているだろう(と信じたい)けれども、こんな質問したら次の日からナントカ氏の差し金で首相番を外されちゃうんじゃないかと気を回して自主規制している説。かくして首相は自分の言いたいことだけをカメラに向かって言える。
面白かったので長々と引用してしまった。すみません。