雷電のチチ日記

二千円札を最後に見かけたのはいつだったろう./最近はTwitterでつぶやいてることが多いかも/はてなダイアリーから移ってきました since 2005

偶然性のないゲーム

将棋ソフトの方向性は間違っていると思う件 - I 慣性という名の惰性 I
将棋(や、それに類するもの)が、不確実性を排したゲームである以上は、こうなってしまうのは仕方ないんじゃなかろうか。
カードゲームでは、ゲームの種類にもよるがカードの「引き」が勝敗を左右する一つの要素となる。麻雀もそうだ。ほとんど素人の私だって、プロ雀士相手でも半荘50回やれば一回ぐらいはバカヅキが続いてトップ取れそうな気がするじゃないか(まあ、そう思ってやると49回カモられることは分かっているので、思うだけ)。
スポーツも同じこと。サッカーはボールを手で扱えないという根幹のルールが不確実性そのものだし、ゴールポストを叩いたボールがどっちに跳ねるかは神のみぞ知る。野球も、小さなボールを細いバットで打ち返すのだから何が起きても不思議ではない。完璧な当たりが野手の正面をついたり、打ちそこないが二塁打になるのはしょっちゅうである。ラグビーに至っては、ボール自体が偶然性の塊である。実力差が出そうな格闘技だって、苦し紛れのラッキーパンチで逆転勝利なんてこともある。もちろんプロはこの不確実性をできるだけ排除していくのだが、それでもどうしても残る「運」の要素がゲームの魅力のひとつになっているのは言うまでもない。

将棋に不確実性はない。運もない。盤面の形勢が有利になるのは自分の好手か相手の悪手によるもので、不利になるのはその逆だ。「相手の駒を取ろうとしたら、20分の1の確率で失敗して逆に相手に取り込まれてしまう」なんてルールは存在しない*1。純粋に知力の勝負である。それが将棋(や、それに類するもの)の長所であり限界でもある。
こんな性格の競技であるから、プロ棋士やコンピュータソフトが強さのインフレを起こしてアマチュア置いてけぼりになるのもある意味必然なのかなと思う。素粒子理論や計量経済学の最先端が素人にはさっぱりなのと同じだろう。それでもというならば、指導対局機能が充実しているような、「研究の最前線にいる人が書いた一般人向け新書レベル」を実現した将棋ソフトが増えればよいのかな。いまのプログラミングでそれできるのかな。

*1:いや、あったらあったで面白いと思うがどうでしょうか?最後いつまでも投了できなくなりそうですが