雷電のチチ日記

二千円札を最後に見かけたのはいつだったろう./最近はTwitterでつぶやいてることが多いかも/はてなダイアリーから移ってきました since 2005

何が駄目なのかと考えるに

あの人が何かを喋るときは、恐らく「目の前で小賢しい質問をする記者」とか「質問する議員」に向かって喋っているのであり、その先にいる「有権者」とか「この国に住む人」のことが見えていないのだと思う。その場で何か言い返せた(と本人は思っている)らとりあえず満足で、それがどう受け止められ、どういう意味に取られるのかということにまで考えが及んでいないのではないか。年金問題で「国民の不安を煽るな」とか「証拠もないのに全員に払うのか」と言ってみたりする(言った瞬間は「へへんどうだこの切り返し!僕って鋭いなあ」と思ってただろう)のや、問題発言をした閣僚をとりあえず擁護してみるのを見聞きしてそう感じる。慰安婦決議問題で「狭義のなんたら」とか「たくさんある決議の一つ」と言っちゃうのもそれ。
次の総理大臣はもう少しましな人であることを希望。

追記(重要)

上記の文(ならびに本年4月25日の日記)について、コメント欄にてご指摘を頂いている。ツッコミは当然であり、謹んで受けたいと思う。そもそもが「自分が嫌な気分になった」のが元にあって、そう感じた理由は何だろうかと考えた末の上記文、という順序である。それはない、のであれば私はもう一度はじめから「嫌な気分になった理由」を考えるのが良いのかも知れない。個人のキャラクターの問題だけに帰せないとなると、もっと構造的なものか。いずれにせよ上記文は当面保留とさせて頂くとともに、気づきを与えてくれたコメント欄のご指摘には感謝します。
しかしながら「この時期にあの人のああいう事」を書くことについて神経質になる方もいると思うので、上記の文章を読む際には当該コメント欄を併せて読み、その軽重を判断していただければ幸いです。