雷電のチチ日記

二千円札を最後に見かけたのはいつだったろう./最近はTwitterでつぶやいてることが多いかも/はてなダイアリーから移ってきました since 2005

邪馬台国論争と考古学

高校の日本史の先生は古代史マニアで、特に邪馬台国論争の話は盛大に脱線しながら授業をしていた。畿内説と九州説の強みと弱み、いろいろな遺跡の意味、さまざまな奇説や珍説。この先生の話を聞いていると、日本の歴史学邪馬台国論争ばっかりやってたような気にもなった。
で、先生は最後に言った。「いろいろ言ってきたけどな、邪馬台国がどこにあったかっていうのはほんまは重要な問題じゃないんや。邪馬台国の本当の意味は、ありとあらゆる角度からの論争が続くことによって日本の歴史学や考古学の手法がどんどん深まって発展していったことにあるんや」
なるほどうまいことを言うなあ、歴史の研究とはそういうものなのだなあと感じる一方で、この先生も土地柄畿内説派だったようで、当時はどちらかといえば九州説が有力だったものだから「負け惜しみもまじっとるな」と自分たち生徒の間では笑っていたものだ。
いま、纒向遺跡という重要らしい遺跡の発掘が進んでまた邪馬台国が盛り上がっている。あの先生はもう定年退職されているが、今も現役だったら邪馬台国論争の最後はどういう言葉で締めていただろうか、ちょっと気になる。

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