今週の「うたの旅人」
うたの旅人 宇治では見えない茜襷(あかねだすき) 唱歌「茶摘」
面白かった。
- 八十八夜と茶摘みは本来関係がない。「バレンタインデーのチョコのような、プロモーションソングだったのでしょう(笑)」
- 「あれに見えるは茶摘みじゃないか」…宇治では茶を摘むときには畑を黒い布で覆ってしまう(太陽を当てないことでうまみを増す、また霜よけのため)ので、茶摘みの風景が見えたりはしない。たぶん静岡あたりの風景だろう
- 「摘まにゃ日本の茶にならぬ」という歌詞が2番に。わざわざ「日本の茶」というのは、おそらく輸出用のお茶のことだろう
- 明治期、日本の生産する茶の6割が輸出されていた。輸出先の8割がアメリカ。当時のアメリカで "Tea" といえば緑茶のこと、砂糖とミルクを入れて飲まれていた。
- 静岡では茶摘みの独身女性は「茜襷」をしていた。歌の描写は正しい。
- 茶摘みは単調な仕事なので、若い子はすぐ飽きて無駄話をしだす。それを防ぎ、仕事に集中させるための茶摘み歌。
- やがて工業の時代となり、茶畑から女性が消え男性の仕事になった。手摘みからハサミで切るようになった(なお宇治では今でも手摘み)。
- 仕事の担い手も内容も変わり、うたわれる歌の内容も変わる。北原白秋に依頼して作られたのが「ちゃっきり節」(=茶切り節)。「歌はちゃっきり節 男は次郎長 花はたちばな 茶のかおり」
- 正しくいれたお茶は本当にうまい。「幸せな気分が1時間持続しますよ」とインストラクターに言われたが、体験した記者氏は3日も幸福感が続いたという
なお「ちゃっきり節」は途中で転調しまくりの複雑なコード進行を持つ曲である。
静鉄グループ|なるほどコラム ちゃっきりぶし誕生秘話
もともとは、地元の静岡鉄道が開設した遊園地の宣伝用キャンペーンソングだったらしい。地名や名産を織り込みながら30番まである。
ところで
この「うたの旅人」は、紙面では記者の署名入りなのだが(今回は伊藤千尋記者)、ウェブに掲載されるときは署名もなく、しかも抜粋版(続きは紙面で!)で文体も「だ・である」体から「です・ます」体に改変されている。どうしてなんだろう。