雷電のチチ日記

二千円札を最後に見かけたのはいつだったろう./最近はTwitterでつぶやいてることが多いかも/はてなダイアリーから移ってきました since 2005

むかしむかしあるところに

とある村の道路沿いに住む男がいました。その男は、自分の家の前の道に落とし穴をしかけるいたずらを繰り返していました。
その道を通る人は近所の人が大半だったので、そのいたずらを知っていました。たまに引っかかって落ちてしまったりもありましたが、そんな大怪我をするような穴でもないので本気で怒ったりせず、みんないたずらを大目に見ていました。
さて、その村が発展するとともに、人が増えてきました。近所の人が歩いて通るだけだったその道路は、よその町から町へ行く人も通過する幹線道路になりました。「じょうほうハイウェイ」と呼ぶ人もいます。いや、もうそう呼ぶ人はいないか。まあそれはともかく、徒歩だけじゃなく、自転車やクルマ、バスも走るようになりました。
近所の人たちは落とし穴のことはよく知っていたのですが、よその人はそんなこと知りません。うっかり落ちてしまった人は怒ります。「なんてことするんだ、危ないじゃないか」。でも近所の人はたしなめます。「まあそんなおこるなよ。だいたい、そばに近づけば落とし穴だってわかるじゃないか。落ちる方が不注意なんだよ」「こんな浅い穴におちるのはならまだましなほうだよ。なあに、かえって免疫になる。もっと深くて危ない穴もほかには開いているし、用心するようになるんだから」「穴を穴と見抜けないものは道路を歩くのは難しいよ」。
やがて、落とし穴の近くに待ち構えていて落ちてしまった人を笑いものにする村人や野次馬も出てくるようになりました。
そんなこんなで落とし穴は同じように続いていたのですが、いよいよ交通量も増えてきて、穴に落ちたクルマにほかのクルマが玉突き衝突して炎上、消防車が駆けつけたりと今までにない大きな事故も起きるようになりました。怒った人が暴れだして野次馬とけんかにもなりました。
さすがにこうなってくると、近所の村人からももうちょっと考えようよと言い出す人があらわれました。「みごとな落とし穴だけど、最近事故がおこりすぎだよ。事情をしらない人もふえているんだから、<足元注意>の看板を立てようよ」。
この意見に、村人たちは賛否両論です。「注意しない人が悪いんだよ。落ちた人にはそのたびに教えてやればいい」「誰がするんだよそれ。いちいち教えてやるのすげえ手間なんだけど」「誰かがしてくれるよ。知らないの、いまのさいしんしきどうろはまちがいがあってもすぐ訂正されるんだよ」「だからその手間が面倒だからやらなくてすむようにだな」「ははあ、さてはあなた、自分も落ちたからそんなこと言うんだろう。恥ずかし」「そんなわけないだろ俺はお前らよりも前から村人だ」「顔真っ赤」「うるせー馬鹿」「汚い言葉はやめろよ死ね」「リテラシーのないのはどっちだよお前らこそpgrされてんの判らない?」「と情弱が申しております」「自称情強は始末に負えないな」「必死ですね」「というかお前村人じゃないだろただ眺めて楽しんでるだけのくせに」
「で、僕はどうすればいいんですか、昔は楽しかったのに」と、穴を掘っていたいたずら者は困っています。*1

なんか結論も何もないのだけど

よく「Twitterはデマが流れてもすぐに訂正される」と言うじゃん。でもそれ、誰がやってると思ってるのよ。「誰か」がやってるんだよ。手間をかけて。デマが多いほど手間がかかるんだよ。じゃあ「嘘記事がデマとして拡散しにくいようにしよう」という改善要望は当然じゃないか。と思うが何かおかしい?

*1:inspired: http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/main.html の2012/5/16付 。なつかしいなこのURL。虚構新聞が独自ドメイン取る前には良く見かけた