アラブのハルキ・ムラカミ論
今日の朝日新聞国際面に、「アラブのハルキ・ムラカミ論」というコラムがあった。平田篤央記者の署名コラムで、後半部分はレバノンの作家・詩人であるアブド・ワジン氏の論評を紹介している。ウェブに出ていないこともあってかあんまり話題になっていないようなのでご紹介。今回の村上春樹とエルサレム賞の一連のニュースに、パレスチナ人、アラブ人の姿がない。村上春樹作品を愛する文学者の屈折した思いが興味深い。
我々アラブ文化人は村上春樹がエルサレム賞を拒絶することを願った。日本でも、ガザでイスラエルに殺された子供や女性の流した血に敬意を表して辞退するよう求める人がいた。その声に耳を傾けてくれると思った。
しかし、彼は躊躇することなくエルサレムに行き、シモン・ペレス(大統領)から賞を受け取った。何度もノーベル賞候補になっているこの作家は、イスラエルが世界的文学賞への通り道だということをよく知っている。
イスラエルは、ボーボワールやミラン・クンデラら大作家に与えたこの賞によって、偉大な日本の作家を捕らえることに成功した。ガザでの虐殺直後に、たとえ日本の作家であれ世界的な文学であればたたえるのだということで、自分たちは文明国であると世界に示そうとしたのだ。
村上春樹はアラブの本屋や図書館に存在している。いまや彼の作品は多くのアラブ人に読まれ、最も輝かしい日本の作家として人気がある。レバノンの出版社が村上の小説4作品をアラビア語訳して人気を呼び、アラブのウェブサイトにも翻訳が出回っている。イスラエルではこれほどの人気はないはずだ。
例えばアラブ連盟は、なぜ世界の優れた作家に賞を贈らないのか。それは世界の目を我々に向かせるのではないか。アラブ文化に世界的な次元を与え、現代の国際文化の舞台の中心に据えることになるのではないか。資金が足りないなどと言い訳をすべきではない。イスラエルが村上に贈った賞金はアラブの他分野の賞に比べて多くはない。
仮に今回の小さな過ちを許さないとしても、我々は村上春樹を愛し、読み続けるだろう。彼だって、誰もが知っている目的のためにちょっとした間違いを犯したことは分かっている。アラブがこの偉大な作家に「免罪符」に当たるような賞を与えることを望みたい。