雷電のチチ日記

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読み手のリテラシーと聞き手のリテラシー

岡田有花記者と鳥越俊太郎のこと: どの情報を信じますか? - ITmedia ニュース
前段のライブドアの話はともかくとして。「私はそんなつもりで言ったのではない」という取材対象者に、「あなたは確かにこう発言しましたよ」と録音テープを証拠に反論する取材者という図式。しかしこれ、言ったのは確かに鳥越氏だけれども言わせたのは取材者の方である。取材者と対象者は対等の立場ではない。(たとえ対象者が大先輩であっても)
記者には、「鳥越氏ならこういう考えを持っているだろう」という予断があったのではないか。それで対象者が自分の期待通りの発言をしてくれて「キタコレ」とばかりにその部分を記事にしたのであれば、それは取材の姿勢としてどうかなという気はする。予断がなければ、(そしてその発言が「炎上」をもたらしかねないという認識があれば)「あなたが今おっしゃったことは要するにこういうことですか?これそのまま掲載したら結構反発があると思いますがどうでしょう」とその場で確認した方が良かったのではと思う。それが「取材」というものではないだろうか。
鳥越氏は「一部の、と言ったつもりなんだけど」と言ったという。これが後出しの言い訳でないならば、つまり鳥越氏が取材時に本当にそう思って答えていたならば、記者が取材者の真意を伝えていなかった、真意が伝わる発言を引き出せなかったと言えないだろうか。テープ起こしをそのまま掲載してよしとする態度はどうかと思う。取材対象者が喋ったことを右から左に流すだけがインタビュー記者の仕事ではない。
岡田記者は 受け手の情報リテラシーが、ますます重要になりそうだ という言葉で記事を締めているが、それならば送り手である記者にも高い能力・リテラシーを求めたい。と思うのであります。彼女の記事は読ませるものが多いだけに、「こう言ったではないですか」式の反論は残念だ。


鳥越氏自身もベテランのジャーナリストであり、取材対象者とやり取りの中からこういうすれ違いが起きる経験を豊富に持っているだろう。鳥越氏はどういう姿勢で取材しているのか、相手の言葉をどう引き出しているのか、行き違いをどう解決しているのかもう一度取材してみてはどうでしょうか。
まあ私がそんなこと言える立場ではないですけどね。

もちろんこのエントリが予断に満ちたものであることは言うまでもない。