雷電のチチ日記

二千円札を最後に見かけたのはいつだったろう./最近はTwitterでつぶやいてることが多いかも/はてなダイアリーから移ってきました since 2005

それだけじゃないヤマハ

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ヤマハの歴史は教育の歴史でもある。ピアノやエレクトーンの需要を増やすためにヤマハ音楽教室 → 子どもたちが集まってきたのでヤマハ英語教室、という流れ。音楽教室などは、それ自身が教室の講師養成機関でもあるという自己完結&自己増殖ぶりであり、国が滅びてもヤマハのシステムだけは残るのではなかろうか。
あと忘れていけないのは、カワイやクロイツェルといった日本の他のピアノメーカーも、ほとんどは元ヤマハ(日本楽器)の職人が独立して興したということ。「ヤマハでは本当の楽器が作れない」というのが独立の動機にあったにしても、個性的なブランドを生み出す原動力になったといえる。ヤマハはピアノだけじゃなくピアノメーカーも作った。