天声人語ってちょっと変わったのかな
朝日新聞の「天声人語」はリベラルの牙城と思っていたが、最近はそうでもないようだ。
4月21日。上海万博のテーマソング(PRソング)ネタ。
中国のコピー癖に今さら驚きはしないが、国の威信をかけたイベントまでとはニセモノ天国も半端じゃない
この荒業、当方も冗談としては話していた。冗談を地で行く国である
はやりものに疎い当局が笑いものになった。ネットをあれこれ規制したところで、人の口に戸は立てられない。「OKANOTO」が通るはずもない。
中国様にこんな揶揄してたっけ? なお「OKANOTO」というのは、「HONGDA」「SQNY」というなんちゃってブランドがあるという前段の話題を受けたもの。
4月27日。海外に500何人の養子がいるからと子ども手当を申請した外国人の話。
だが、日本に住む外国人の、海外にいる子にまで出すのは気前が良すぎないか
お人よしのリーダー、人のいい政策。どちらも国と血税を危うくする
これまでの天声人語ならそもそもこういうネタはスルーして触れなかったと思うんだ。「気前が良すぎないか」というのは制度そのものの否定にも読める。この日は「徳川家斉の子だくさん」にからめている。
4月28日。殺人事件の時効廃止の話。
一方で、証言や証拠は古くなり、アリバイは立証しにくい、つまり冤罪を生みやすいとの指摘がある。締め切りがなくなり、捜査の熱が冷めないかという心配もあろう。どうかこれまで以上に初動に全力を注ぎ、司法の大転換を正義に生かしてほしい
「一方で指摘がある」「心配もあろう」じゃなくて、こっちの心配をメインに据えて「早急に過ぎないか」と疑問を呈するのが天声人語のスタンスだったような。
ちょうど15年前、岡山県倉敷市で老夫婦を殺した犯人は、逃げ切りまで約6時間だった。どこかで生きているなら己を恨むがいい
コワイネ。
というわけで、一瞬「産経抄」かと思ってしまうほどであった。