雷電のチチ日記

二千円札を最後に見かけたのはいつだったろう./最近はTwitterでつぶやいてることが多いかも/はてなダイアリーから移ってきました since 2005

ちょっと前の記憶

長い間音信のなかった中学高校時代のクラスメートから連絡が来た場合、それは大抵選挙か宗教の勧誘、あるいは誰かが死んだという知らせである。もう10年以上前のその日、夜遅くに私が受けた電話は「宗教」関連だった。彼はオウム真理教の信者になっていた。


彼(「A君」と呼ぶ)とはクラスが一緒になったこともあるが、顔を合わせたら話をする程度の仲だった。おとなしかった私よりもさらにおとなしい人間だった。別々の大学に進学してからは特になんの関係もなかった。そのA君が、私が大学を出てしばらく経って突然電話をくれたのである。
最初は他愛のない世間話だったが、やがてハルマゲドンがどうしたという話になり、A君は「実はオウム真理教に入信した」と切り出した。
当時のオウムに対する私の認識は、「変な名前の派手なお騒がせ新興宗教」という程度のものだった。いろいろな疑惑がくすぶっていることは知っていたが、その時点で団体はまだ松本サリン事件も起こしていない。大学時代はキャンパス内で教祖の講演会まで開かれていたほどだ*1。そんなわけで、身構えるとかハナから話を拒否することはなく、むしろ興味津々というのが正直なところだった。当時から悪評が高かった「統一なんとか」といった団体に対するような警戒心は、はっきり言ってなかった。「わあ、案外近く(全然近くないのだが)に信者さんがいたよ」という感じである。
A君は「今バイトの休憩中なんだ。病院でバイトしてる」と言っていた(夜中の12時過ぎである)。「病院」とは教団経営の病院だったのだろうか。最近の生活のことやこの国の未来について、いろいろと話してくれたけれども、後から思えばほとんど教祖の言葉そのままを喋っていたように感じる。まあ自分の宗教の話をするときはそうなるものかも。
ひとしきり話してくれたあと、「じゃあ今度本でも送るから一度読んでみてよ」といって電話は切れた。A君と私の物理的距離がかなり離れていたため、話は「今度一度会おうか」という方向には行かなかった。それにしてもA君はなぜ私に電話してきたのだろうか。勧誘のため? …どうもそうは感じなかった。ただ「自分の見つけた価値ある素晴らしいモノ」を誰かに聞いてほしかっただけではなかろうか。

その2日後に、教祖が書いたという著書が手紙と一緒に郵便で届いた。手紙の内容は電話で話したこととほぼ同じ。恐らく本代はA君の自腹だったに違いない。そのことに敬意を表して本を読んでみたが、あまり興味は湧かなかった。いや、実は興味があったのに自分の中の理性が「これはちょっとヤバイわ」と言っていたために拒絶したのかも知れない。
数日後またA君から電話があった。「本読んでくれた?」私は率直に、教団にはあまり興味を持てなかったこと、君の進む道を僕はとやかく言うつもりはないが、周りに迷惑だけはかけるなよといったことを話した。A君は残念がる風でもなく、「そうか、じゃお元気で」「お互いにな」という会話で電話を切った。A君との電話はこれが最後になった。
またしばらくして、今度はかなり長文の手紙が届いた。前は敬体(ですます調)だったのに今度の手紙は常体(だである調)の文になっていて、内容もまるで明日にでも世界の終わりが来るような切迫感があった。内容は相変わらずだったが、手紙の最後に「私は明後日出家することが決定した」とあるのは気になった。本を読んで信者には「在家」と「出家」の別があるのは知っていたけれども、具体的にどんなことをするのかまでは知らなかった。返事は出さなかった。「出家」先の住所も分からなかったから。


その後一連の事件が起き、テレビは連日オウム報道一色になった。事実が明るみになり、オウム真理教は「宗教団体」から「テロリスト集団」に変わった。阪神大震災で家も勤務先も被災した身にはそれどころじゃなかったが、それでも私は報道される映像の中にA君が映っていないかできるだけ探した。新たな逮捕者が出たと言ってはA君の名前を探した。残念ながら名前も姿も見かけることはなかった。その後A君の消息は知らない。今はどこでどうしているのだろうか、時々気になる。A君にもらった本は、まだ実家の書棚にある。


思い出話おしまい。

*1:まあ私の通っていた大学は、ありとあらゆる人物の講演会場に使われていたが