雷電のチチ日記

二千円札を最後に見かけたのはいつだったろう./最近はTwitterでつぶやいてることが多いかも/はてなダイアリーから移ってきました since 2005

プロとアマの線引き

しあわせのかたち - 文学は罪なヤツ

「小説」もそういうもので、ただプロとアマチュアの線引きが複雑なだけだと思う。

問題は、「実力の明確な物差し」がないことだ。

老舗文芸出版社「パンダ舎」(わかりますね)の人のブログでこのへんのことがちょこっと取り上げられていた。

パンダのため息

一般の出版社にとって「お客さん」とは 「読者」 ですが、 自費出版会社にとって「お客さん」とは 「著者」 です。

パンダのため息

プロ作家は出版社に何を求めているのでしょう? 逆に言うと、プロ作家はなぜ自費出版しないのか? 著者から見たら出版社ってば相当ピンハネしてまっせ。(^_^;)
(…)あたしが敬愛するかの吉村昭氏のこのひとこと。 「作家は“編集者”という滝に打たれなければならない」

パンダのため息

パンダのため息

「プロ作家になりたいけど、とりあえず最初は自費出版から始めてみよう」 自費出版をして書店店頭に並ぶことを期待しているアマ作家さんは、 こんなふうに考えているのでしょうか? 自費出版で本を出しても、作家としてのキャリアにはなりません。 残念ながら。

パンダのため息

自費出版しかしてない著者は完全に素人とみなされます。 なぜか。 「編集者」を通過していないからです。

パンダのため息

自費出版社の“全国の書店に並びます” というのはハッタリではなさそう。 でも、タダでは書店さんも置いてはくれないでしょ?
「ダタ。でも、売れなかった分は1ヵ月後に出版社がすべて買い取ってくれる」

要は「編集者」というフィルターを通しているか否かということか。これが音楽ならディレクターということになるのかな。いずれにせよ、編集者(または編集者的な人)の千本ノック、あるいは「原石を磨く作業」があってこそ「売り物」になるのだろう。しかしネット界隈では、磨く前の原石をそのまま「野趣にあふれててすげえぜ」等と愛でる向きが一部にあるようで、もったいないことだ。磨かれるべき原石を発見するひとつの手段として、ネットでの評価というのは役に立つと思うけど。